国木田独歩旧宅

国木田独歩は、20歳から22歳(明治25-27年)の間を、この旧宅で過ごしました。
ここには独歩が愛用していた机や月琴などが納められ、周囲の閑静な佇まいが今も当時の雰囲気を残しています。
彼の作品『少年の悲哀』や『置土産』などは、柳井を舞台にしたものです。

※実際に中へ入っての見学はできません。外からの見学のみとなります。

光台寺(ワンワン寺)

中国明朝様式で造られたちょっと変わった風貌の楼門。
白漆喰のトンネルの中央には大きな穴があけられており、この楼門の下で手をたたくと、『わぁんわぁん・・・』と反響するので、別名「ワンワン寺」とも呼ばれ、人々に親しまれています。
近くに住んでいた散歩好きの国木田独歩は、よくこの辺りまで来ていたことから、楼門右手側に「国木田独歩曽遊の地」碑が建てられています。

宝来橋/愛宕地蔵(火伏地蔵)

柳井で最も歴史の古い橋。
寛文3年(1663)に干拓された「古開作」と、「柳井津」側を結ぶ唯一の橋として多くの人々が往きかいました。
司馬江漢もこの橋を渡ったことが、『西遊日記』に記されています。
現在は仮橋となっていますが、橋のたもとには、当時の船着場の名残の『雁木(がんぎ)』や、船が入港する時に目印とした『沖見石灯篭』などが残っています。
また、当時火災が頻発した柳井に、人々が火よけを祈願して建立した『愛宕地蔵(火伏地蔵)』も、今も静かに町並みを見守り続けています。

月性展示館・清狂草堂

月性展示館は、柳井市遠崎妙円寺の境内にあり、幕末の海防論者で勤皇僧「月性」に関わる書画、額画、巻軸、書翰、書冊などを展示している。
また、清狂草堂は月性がひらいた私塾で、「西の松下村塾、東の清狂草堂」とかつては呼ばれ、討幕に活躍した多くの門人を輩出した。

また、文香や木版画など和文化の体験可能。

オルゴールの館 グリム

麗都路通りの真ん中にそびえたつ、レンガ造りの塔。
大型のディスクオルゴールが納められ、日本で唯一のオルゴール作曲家橋本勇夫氏の作品を聴くことができます。
このオルゴールは、通常のオルゴールが35弁であるのに比べ、50弁の特注品です。
心やすらぐあたたかい音色が、通りをゆきかう人々の心をなごませます。

湘江庵/柳と井戸

「柳井」地名発祥の地との言い伝えがある曹洞宗のお寺です。
今から約1400年前、豊後の国(大分県南部)満野長者の娘、般若姫が橘豊日皇子(のちの用明天皇)に迎えられ上京する途中、平郡島沖でひどい嵐に遭って引き返し、柳井津の入江で里人に清水を求められたそうです。
その時、こちらの井戸の清水を差し上げたところ、姫は大変おいしいと喜ばれ、お礼にと井戸の傍らに柳の楊枝を挿しました。
すると、一夜にして芽を吹き、柳の巨木となったと伝えられています。
この井戸の水を飲むと般若姫のように身も心も美しくなれると言われています。
また、境内西側に建つ御堂では、日本三体の虚空蔵菩薩のひとつを拝むことができます。

国森家住宅(国重要文化財)

江戸時代中期(18世紀後半)に建造。当時、柳井白壁の町並みに軒を並べた商家の典型的な家造りが今もそのまま残っています。
国森家は、ともし油、びんつけ油を商い、柳井を代表する富商のひとつでした。
建物は、江戸時代の商家には珍しい妻入り形式で、本瓦葺、入母屋型の屋根を持つ、白漆喰土蔵2階建のどっしりとした佇まいです。
当時多かった火災への備え、盗難や強盗を防ぐための工夫など、様々な仕掛けは必見!

※現在は、外からの見学のみとなっています。

六道地蔵/金剛水

金剛寺下より三ヶ嶽(みつがたけ)林道を登る途中、巨岩の仏像「六道地蔵尊」の下から湧き出る清水は「金剛水」と呼ばれ、いかなる難病悪疫でも平癒する霊泉であるという言い伝えがあります。
三ヶ嶽へのハイキング・トレッキングの途中に立ち寄る方も多くいらっしゃいます。

アデリーホシパーク アクアヒルやない

柳井を一望できる高台に位置する多目的公園です。

【アデリーホシパーク】
テニスコート、ウォーキング&ジョギングコース、全面芝多目的広場や子どもたちに人気の滑り台など、大人も子どもも楽しめます。
午後10時までライトアップしているので、夜のトレーニングにも最適です。

【アクアヒルやない】
温水プール、温泉施設、トレーニングジムなどがあります。